第38回 フォー・ザ・ペイシャント「For the patient」

<第38回> 2020年5月8日 後藤均副部長

 「群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器…」のオープニングナレーションと「私失敗しませんから」のキャッチフレーズで一躍有名になった大門未知子。天才的な腕を持ちながら組織に属さず、病院を渡り歩くさすらいの女外科医、という設定のフィクションのドクターですが、彼女の2枚看板のひとつ、専門医のライセンスってどんなものでしょうか?


 私は血管外科を専門としており、自分の診療科に関連する専門医の資格を持っています。専門医の資格はどのようにすればとることができるのでしょうか?制度は年々変わりますが、私の場合を大まかに説明します。
 まず病院、学会に所属、登録してから外科の場合は350件以上のいろいろな手術に参加し、そのうち3割程度は自分で手術を行う必要があります。手術に参加すると手術記録に自分の名前が記載され、これが学会のデータベースに登録されることでだれもが認める公式な記録になります。必要な経験数をクリアすると学会に申請し、筆記試験を受け、合格後に面接試験を受け、これに合格すると「外科専門医」になります。外科専門医というのは外科医にとっての最初の肩書となり、更に細分化された専門医の取得を目指すことになります。
 私の場合は血管外科に関連した心臓血管外科専門医になりますが、これを取得するには外科専門医となった後に、更に一定期間の決められた病院での修練と100ないし200件程度の難しい手術を含めた専門の手術の経験と、論文の執筆、学会発表、学会への参加などの条件を満たした後に筆記試験に合格して、初めて心臓血管外科専門医になることができます。大門未知子の場合、組織に属さずに専門医を取得するのは結構大変だったに違いありません。


 では、専門医は自分の専門の病気ばかりを診るようになるのでしょうか?実際の診療では患者さんのもつ病気は多岐にわたり、専門の病気ばかりを診ているわけにはいきません。しかし、診療の細分化、専門科が進むと、自分の専門以外の病気は診たくないという心情がどうしてもでてきます。世の名にも専門家に診てもらいたいという風潮がありますし。
 特に大学病院は専門分野が更に細分化され、一つの病気をつきつめた専門家が揃っている場所であるため、私たちは得てして自分の専門領域の患者ばかりを診ることに没頭します。そして自分の専門ではない病気の患者から知らず知らずに目をそらしてしまうことがあります。


 私が大学病院に勤務し血管外科チームに所属したころ、そんな偏狭な診療を行うたびにいつも叱ってくれる上司がいました。当時、血管外科のチーフだった佐藤成(あきら)先生です。
 そのころの血管外科のチームは成先生の外科の知識、技術に加え人間的な包容力に魅かれて集合したチームでした。成先生は「そもそも」という言葉で良く我々を叱咤激励しました。「そもそも、君は専門科である前に医師だろう」「そもそも、君は何で医師になったのか、最初のところを思い出しなさい」「自分の専門ではない病気の患者さんであってもそこに苦しんでいる人がいればまず診る、そして助けることを考えなさい」
 この言葉はいつも忘れていた、というか、いつも忙しさから思い出さないようにしていた疚しい部分につきささりました。大学病院も病院なのだから自分の専門であろうがなかろうが必要なら入院させてまずは診療を行う。「For the patient」だと、成先生は常にこういうスタンスを保ち実践していました。


 「For the patient」。成先生は行動を起こすときに時々口にされていました。そこには安物のスローガンではない固い信念があったのではないかと察します。というのは、その当時、成先生は若くして大病をされており、自分の限りある命をご存じだったはずです。そのような状況でも、現場では自分よりも恐らく病状の軽いであったであろう患者さんの訴えを真摯に聞いて応えている姿は印象的でした。また、体調が十分ではないにも関わらず、病院にいろいろな提案を行い、より良い診療を目指してシステムを変えていきました。
 その中の1つが生理検査センターの創設に尽力されたことです。それ以前には独立した生理検査の部門はどこの国立の大学病院にもありませんでした。その当時、血管外科の分野ではバスキュラーラボというエコーや脈波など低侵襲な生理検査を行う部門が注目されていました。生理検査の重要な点は、低侵襲であることと技師の技量が検査の質に直結することです。成先生は生理検査を独立させてプロフェッショナルな技師を育成することが重要と考えたのだと思います。
 他分野の生理検査も集合してH24年に東北大学病院に生理検査センターが創設されました。成先生は生理検査センターの初代副部長として、その後もシステムの改善、人間関係の調整など組織が機能するよう尽力されておりました。現場でも組織でも「For the patient」を実践された医師であったと思います。
 現在、生理検査センターでは各スタッフが日常の診療を通しより専門の技量を求め日々精進しています。創設に携わった成先生の「for the patient」の精神を受け継いでもらえると思っています。


 さて、現在、専門医のありかたは新しい局面に入っています。2018年からは卒業後の医師がカリキュラムにのっとり「早目に」専門医が取れる制度に移行しました。厚労省がまとめた「専門医のありかたに関する検討会」によると、専門医の定義は「スーパードクター」ではなく「安全で標準的な医療ができる」「患者さんに信頼される」医師のことを指すことになりました。


 ところで、最初にもどりますが、大門未知子のドラマがはやった時に時々患者さんから冗談で言われました。「先生は失敗しないんでしょう?」。私はよく冗談で答えていました。「ええ、私は時々しか失敗しませんから」。現実の専門医はそんなもんです。